きちんと手入れされている上下二段、左右計四十人分の傘立てが懐かしい。湯船から更衣室のテレビが見え、おつな趣だ。タイル絵は小島の緑が映える瀬戸内の風景か、白い架橋が青い海原にアクセントを添える。二人しかいない平日の夕方、超音波ジェットバスを足裏と背中に当てながら、わが人生を振り返る。そういえばフランスの画家、ミュシャ風のタイル絵がシャワー室にも。帰りは、漱石終焉の地入口、とある立札を横目に地下鉄・早稲田にむかった。
ところで途中に「肴・三四郎・鮮魚」「享保八年創業・十八代 河合三四郎」なる店があった。創業からなんと二百八十年。そうすると漱石が百年前にこの近辺を歩き、新聞の連載小説の候補には青年、東西、平々地、とあったが、この肴屋の前を通り、その名を決めた、とは考えられないだろうか?
(2014・神無月)